櫻井よしこ、南京事件を否定
概要
2025年8月、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が産経新聞のコラムにて、旧日本軍による「南京事件(南京大虐殺)」の存在そのものを否定する主張を展開し、国内外で激しい反応を引き起こしている。櫻井氏は、「日本側の独立研究では南京事件の事実は確認されていない」とし、事件自体が中国側による政治的プロパガンダの産物であると断じた。
この発言は、日本政府がかつて公式に「非戦闘員の殺害等の行為があった」と認めた見解とも乖離しており、長年にわたる日中間の歴史認識問題を再燃させる結果となった。国内では言論の自由の観点から発言を支持する声がある一方、歴史修正主義として厳しく批判する声も多く、議論は激化している。
発言の骨子と主張の背景
櫻井氏が産経新聞のコラムにて主張した内容の要点は以下のとおりである:
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南京事件は、日本側の一次資料と学術的検証において実証されていない
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東京裁判(極東国際軍事裁判)において中国側が一方的に提示した証拠によって捏造された側面が強い
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被害者数30万人という数字は国際的にも根拠が乏しく、人口統計上も矛盾が多い
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歴史教育において自虐的な視点が続いてきたが、それを見直し「真実の歴史」を日本人自身の手で取り戻すべきである
櫻井氏はこのように述べ、戦後長年続いた“東京裁判史観”からの脱却を主張している。彼女の立場は、いわゆる保守系歴史観を代表するものであり、「日本は侵略国家ではなかった」「戦争犯罪の多くは捏造」とする潮流と一致している。
反対派の論点と懸念
一方で、櫻井氏の発言に対しては、学術界・人権団体・外交関係者などから強い反発と懸念が示されている。主な論点は以下の通りである:
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南京事件の存在は、日本・中国・欧米の膨大な証言、写真、外交報告によって裏付けられており、否定は歴史修正主義に該当する
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日本政府自身が過去に「非戦闘員の殺害、略奪、放火等の行為があった」と公式に認めており、櫻井氏の主張はこれと矛盾している
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南京事件否定論は、日中関係を著しく悪化させ、国際社会からの信頼を損なう可能性が高い
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歴史否認が教育現場に浸透すれば、若年層の歴史認識に歪みが生じ、国際的な歴史対話において孤立を招く
一部の大学教授や元外交官は、「政治信条を根拠に歴史を塗り替えることは、民主主義国家にとって極めて危険だ」と批判している。また、遺族団体や中国国内からは「謝罪と責任を放棄する発言」として、強い抗議が行われている。
国際比較と歴史認識の取り扱い
世界各国における戦争責任や人道犯罪への対応を見ると、日本の姿勢とは明確な対照がある:
国名 | 主な戦争責任の対象 | 公式な対応 |
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ドイツ | ナチスのホロコースト、大戦責任 | 教育カリキュラムに明記、謝罪と賠償を継続 |
フランス | アルジェリア独立戦争 | 検証の進展は遅いが、近年は公的謝罪が増加 |
アメリカ | 奴隷制度、先住民虐殺 | 教育と博物館整備、オバマ政権以降の再評価が進行 |
韓国 | 独裁政権時代の人権弾圧 | 真相究明委員会や賠償制度の設置 |
日本 | 南京事件・慰安婦問題など | 一部謝罪はあったが、否定発言も繰り返され混乱 |
このように、国際的には過去の加害責任を認め、それをもとに和解や教育が進められている傾向がある。一方、日本では政権交代や言論人の発言によって歴史認識が揺れ動く傾向があり、国家として一貫した姿勢が保たれているとは言い難い。
国内世論と報道・メディアの温度差
今回の発言に関する世論は二分されている。あるメディア調査(2025年7月末、全国1000人対象)によると、
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「櫻井氏の発言に賛同」:34%
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「発言に反対・否定的」:45%
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「判断保留・わからない」:21%
という結果となった。
メディア報道の傾向としては、保守系メディア(産経新聞、チャンネル桜など)は「日本人の名誉を回復する勇気ある主張」として櫻井氏を支持。一方、リベラル系(朝日新聞、TBSなど)は「歴史否認と極右思想の広がり」として厳しく批判している。
SNS上では「真実を言ってくれてありがとう」と称賛する声の一方で、「また国際問題を起こすのか」と不安視する声も目立ち、議論は激化している。
私の感想と考え
今回の櫻井氏の発言は、日本社会が抱える「歴史とどう向き合うべきか」という根源的課題を改めて突きつけている。私は、歴史認識における自由な議論の必要性は認める一方で、「何をどう語るか」には常に責任が伴うと考える。
櫻井氏のような影響力のある人物が歴史事件を「なかった」と断言する場合、それは単なる個人的意見を超え、教育、外交、国際評価に現実の影響を及ぼす。そのため、その発言には圧倒的な裏付けと覚悟が必要である。しかし、南京事件に関しては、各国の外交文書、当時の外国人ジャーナリストの報告、元日本兵の証言、被害者の証言、第三者機関による検証など、多方面から存在が確認されている。これらを一括して「なかった」と否定するならば、その論拠は明確に提示されるべきであり、「証拠がない」「捏造だ」と言い切るには無理がある。
歴史とは、単なる過去の事実ではなく、今を生きる私たちの判断や価値観、そして未来の選択に影響を与える「土台」である。過去を否定することは、未来の土台を不安定にする行為に等しい。特に教育の現場で「事件の有無」が論争化すれば、若い世代の認識に混乱を招くのは避けられない。
また、他国と信頼関係を築く上でも、歴史問題への姿勢は評価対象となる。ドイツがナチス時代の犯罪を公式に謝罪し、教育や博物館を通じて「負の歴史」と向き合い続けることで、ヨーロッパにおける信頼と安定を維持してきたのは事実である。それに比べて日本は、政権や世代によって歴史認識が揺れ動く印象が強く、国際社会から「自己否認も自己肯定もできない国家」と見られかねない。
私は、南京事件を「盾」にも「刃」にもせず、まずは証拠と検証に基づいて静かに向き合うべきだと考える。歴史の事実を冷静に認めた上で、それをどう受け止め、未来にどう生かすか――その姿勢こそが、真に誇れる国家の姿勢ではないだろうか。